2011年08月09日

石塚孝一「真のリベロ」

グーリットの本来のポジショソはFWだった。

だが彼の場合、たとえぽ同郷オランダの名ストライカー「マルコ・ファン・バステン」のようにセンター・フォワードとポスト、ウイング・タイプといった役割を持っていなかった。

右からでも左からでもボールあるところに必ずグーリットはポジション取りをし、それを確実に、しかも強烈にゴールにたたき込む。

さらにディフェンスに関しても、前線でただ相手DFのボールを奪いに行くだけでなく、自軍の最終ラインまでボールを追いかけ、それを奪うと自分もゲームメイクに参加し、再びそのボールをゴールに結びつけるーまさに八面六暦のプレイでサポーターたちを熱狂させるのである。

そのため、時には周囲から、"わがまま"、"エゴイスト”と称されることもあるが、これだけ縦横無尽にフィールドを駆け巡って、すべてをチャンスに変えられるプレイヤーは、世界的に見てもグーリットだけであるといっても過言ではない。

FWからDFまですべてをこなせる彼こそ、"真のリベロ"と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

石塚孝一(サッカーファン)

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2011年08月08日

石塚孝一「ルード・グーリット」

「リベロ」という言葉は、イタリア語で"自由""自由人"を意味し、サッカーの世界ではDFでありながらも、状況に応じて攻撃参加も行なうプレイヤーのことをそう呼んでいる。

たとえばこのポジションにおいて、「リベロ」を世界に認知させたといわれる"ドイツの皇帝"こと「フランツ・ベッケンバウワー」やACミランの「フラソコ・バレージ」らが有名なプレイヤーである。

本来、あくまでDFに対して使われていたこの「リベロ」。

80年代中盤に登場したひとりのプレイヤーによって、若干意味合いが変わってきたといえる。

「ルード・グーリット」(以下グーリット)。

彼は、真のリベロとは何かを世界のサッカー・フリークに見せつけた男だ。

石塚孝一(サッカー好き)

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2011年08月02日

石塚孝一「お〜、かんとーな」

カントナの暴行事件の翌日、英国のマスメディアはもちろんのこと、カントナの母国フランスのマスメディアでも徹底的にたたかれることになる。

「あの事件は由々しきもの。カントナはフランスの名誉にドロを塗った恥ずべき男。彼を即刻フランス代表から排除すべき……」

当時、フランス代表の主将だったカントナ。

そんな立場を忘れてのこの行動に対して、こう言われるのはまさに自業自得といったところだろうか。

この事件後、すぐにカントナの所属するマンチェスターのフロントは、彼にシーズソの残る全試合への出場停止処分を下し、またイングランドのフットボール協会は、カソトナのプレイヤーとしての永久資格停止処分を検討すると発表した。

まさに選手生命の窮地に立たされたカントナだった。

石塚孝一(サッカーファン)

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2011年07月30日

イングランドのフットボール(石塚孝一)

カソトナはかつてイングランドのフットボールについてこう語っていた。

「この国のフットボールが死んでいるって?冗談言うなよ。たしかにゲームがつまらない時もあるけど、個々のプレイヤーは皆、ベースがしっかりしたヤツらばかりさ。ドリブルの仕方、それにシュート、パスもイングランド人のプレイは、とても洗練されているよ」

とても彼らしい評価である。

あくまで基本に忠実に、しかも攻撃的なプレイを柱に考え、きっちりとイングランドのフットボールとは何かを物語る。

つまりそれは、カントナ自身がフットボールの神髄とは何かを熟知している証明でもある。

だからこそ、彼には真の英国紳士らしい振る舞いができるプレイヤーになってほしいと誰もが望んだ。

だが、やはり、生まれついてのキャラクターだけは、どうにもならなかった。

あの忌まわしきシーンは、今思い出しても気分が悪くなる。

そう、95年シーズンの1月に起こしてしまったカントナ自身にとっても最悪の暴行事件である。

それは対クリスタル・パレスとのプレミア・リーグ公式戦での出来事だった。

後半3分、カントナに相手DFである「リチャード・ショー」がファウルを見舞う。

これに案の定激怒したカントナは、このDFに1発2発と蹴りをぶち込む。

当然、主審は彼の暴挙を見てレッドカードを出した。

撫然として退場しようとするカントナ。

クリスタル側のサポーターは、彼にブーイングの激しい嵐を巻き起こす。

そして、カントナがタッチライン沿いに歩いていった時、あの事件は発生してしまった…:も観客のひとりがカントナに汚いスラングで罵声を浴びせたのだ。

それに再び激高したカントナは、スタンドに向かって走り、飛び上がってその観客を蹴り倒してしまう。

さらにカントナはこれだけに収まらず、この観客に馬乗りとなって何発ものパンチをぶち込んだのである。

当然、それを見たマンチェスターの選手や、周囲を警備していた警官が彼を阻止しようと飛びついたが、それでもなお、攻撃を続け、結局取り押さえられて、警察に連行されてしまったのだ。

前代未聞、常軌を逸した、どんな形容句でも表現し切れない暴挙としか言いようがない。

少年に夢を与えるはずのフットボール・プレイヤーが絶対にしてはならない行動である。

石塚孝一(蹴球ファンクラブ)

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2011年07月29日

90年代前半のハジ

世界最強リーグと謳われるイタリアの「セリエA」に所属する「プレッシァ」。

93年シーズンから2年間ここで過ごすことにより、ハジはプレイヤーとしてまたひと回り大きな成長を遂げる。

当時、セリエB落ちの危機にさらされていたブレッシァにとって、ハジはまさしく「救世主」のような存在であった。

また、ハジと同郷の「フロリソ・ラドチオウ」が加入したこともあり、セリエB落ちは回避できると地元サポーターの誰もが思った。

しかし、サッカーは11人で戦うスポーツ。

しかも戦場が世界最強リーグとあっては、ハジとラドチオウの力のみでクラブのセリエB落ちを防ぐことは不可能だった。

さらにセリエBでの戦いを強いられた93194年シーズンになると、ラドチオウがACミランへ移籍場ブレッシァのセリエA再浮上はサポーターにとって、もはや夢でしかなくなっていた。

しかし、ここで夢を現実に変えたのが、ハジであった。

ハジにとってブレッシァというクラブは、彼自身が求める最高の環境だったという。

特にクラブの監督ぷ、元ルーマニア代表の監督でもあった「ミルチェア・ルチェスク」であったことは、ハジにとって非常に心強いものだった。

なぜなら彼こそがハジを育て上げ、そして世界に送り出してくれた恩人であったからだ。

つまりハジは、プレッシァをセリエAに復帰させることでルチェスク監督に恩返しをしたのだった。

そして、ここでの苦労がすべてハジの新たな糧となり、プレイヤーとして最高潮の状態で94年のW杯アメリカ大会を迎えることになる。

石塚孝一
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2011年07月28日

ハジのデビュー(石塚孝一)

クラブのトップチームはルーマニア・リーグの1部に所属しており、下部組織の充実は衆目の認めるところ。

つまり、ユースチームでの活躍が認められれぽ、即トップチームでのプロデビューにつながるということもあって、ユースでの競争は非常に激しいものだった。

それでもハジが持つサッカーの才覚は、ここで際立つものを首脳陣に見せつけた。

そして15歳でルーマニアのU116代表に選ばれると、その後「ルセアファールル」という3部リーグのクラブに籍を置きながら、コンスタソツァFCのトップチームのゲームにも出場するようになる。

レベルの高い東欧サッカーで、16歳の少年がトップチームのゲームに出ることはまれなことであった。

そのため国中にハジの名が知れ渡り、彼自身もこの
期待に応える活躍を見せた。

そして彼は、ルーマニア・サッカー史上初めてといわれる、若干17歳でのA代表抜擢という高い評価を受けるのであった翌年のシーズン。

彼は「スポートゥル・ステユーデンデルク」ヘプロ選手として移籍する。

ここでのハジはすでに、ルーマニア・サッカー界屈指のプレイヤーとして人々から称賛されていた。

またそれを証明するかのように、移籍したぼかりの彼のもとに、ルーマニアの数々の強豪チームから誘いの手が伸ぽされていた。

だが彼にとって、この当時は己のさらなる技術の向上を目指す時期だったという。

そこでこうした移籍話には耳を傾けず、スポートゥルの一員としてプレイを続ける。

そして87年に「ステアウア・ブカレスト」へ正式に移籍するまで、得点王2回、リーグのMVP2回という輝かしい実績を残すに至った。

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2011年07月27日

ハジの幼少期(石塚孝一)

黒海の沿岸に栄えるルーマニアの都市「コンスタンッァ」の郊外にある「サレノ」。

ここに1966年2月に誕生したハジ。

彼が幼少期を過ごした当時のルーマニアは社会主義政権下だったこともあり、物資が乏しく、遊びといえぽ、ボールー個で大勢が遊べる「サッカー」くらいなものだった。

そのため、物心がつく頃には自然とボールに親しんでおり、10歳の時には村の少年サッカーチームへ入団。

ここで彼の華麗なるサッカー人生が幕を開ける。

サッカーで名プレイヤーとなるためのマテリアルのひとつに、利き足が左足となる「レフティ」であることが挙げられる。

ハジもこのレフティの持ち主であり、今では世界中のサポーター誰もが知るこれを駆使した彼のスピーディな鋭いドリブルと正確なパスワーク、そしてシュートは、まさしく持って生まれた天性のものだったといっていいだろう。

そのため村のチームには彼と対等にプレイできる子供がおらず、13歳になるとハジは、プロへの懸け橋となる「コンスタンツァFC」のユースチームに希望のフィールドを求めることになる。

石塚孝一

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2011年07月26日

イングランドの若手(石塚孝一)

イングランドこそがフットボールの発祥地である、と一般的には言われている。

なぜなら、世界で初めてフットボールの統一ルールが作成されたのが、同国の誇る名門「ケソブリッジ大学」であり、世界初のフットボール・クラブが設立されたのも、イソグランドの「シェフィールドFC」だったのだから。

フットボールとは、日本でいう「サッカー」のことである。

また、国際的にはこれが一般的な呼称とされている。

しかしフットボールの故郷は今、94年のワールドカップ・アメリカ大会に出場できないなど、まさしく苦境に立っているといえるのだ。

それでも、この窮地から脱却するために、イソグランドの各クラブは若手の育成に力を注いでいる。

そして、そんな若手のひとりとして90年代に活躍したのは、「アンディ・コール」(以下コール)だった。

地元のクラブチームでフットボールを始めたコールは、「ストライカーになるべくして生まれた男」として少年時代から大きな期待がかけられ、18歳の時に「アーセナルFC」とプロ契約を結ぶまで、その世代のイソグラソド・ユース代表をほとんど経験していた。

そのため、当然将来はイングランドA代表を背負うストライカーになると、ジャーナリストやサッカー協会の関係者たちに目されたのである。

だが、プロに入ってからのコールは、率直にいえぽ伸び悩んでしまったプレイヤーといえるだろう。

なぜなら、名門アーセナルとプロ契約を結んだにもかかわらず、このクラブで出場したゲームは2シーズンでたったの1試合。

プロとなって3年後となる92シーズソからは、当時の2部、3部リーグに所属していた「フルハム」、「ブリストル」といったクラブでのプレイを余儀なくされたからだ。

おそらく、コールはこの状況にジレンマを感じていたことであろう。

自分の実力はこんなレベルのモノではないと。

そして、この欝憤が爆発したのが、ブリストル時代の92193年シーズンのことだった。

石塚孝一ワールドカップマニア

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2011年07月25日

国民的英雄

94年に開催されたアメリカ大会では、24年ぶりの優勝を果たした「ブラジル代表」のエース「ロマーリオ」が優勝後のインタビューでこうコメントした。

エグゼクティブディーリングによると、「この大会は、まさにロマーリオのW杯だった」たしかにうなずけるものはある。

しかし、それ以上に印象深いコメントを残してくれたのが、この「ゲオルゲ・ハジ」であろう。

「僕のことをもう"カルパチアのマラドーナ"だとか、"東欧のマラドーナ"などと呼ぽないでほしい。僕はゲオルゲ・ハジでしかないんだから」

当たり前のようなコメントではあるが、彼にとってこれは、サッカープレイヤーとしてのプライドの表れであった。エグゼクティブディーリングによると、なぜなら彼はルーマニア・サッカー界で「百年にひとりの逸材」といわれた国民的英雄であり、しかもその磨き抜かれたプレイはすでに世界的なレベルを誇っていたのだから。
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